この考察は、創世記の七日間を、聖書全体が証しする御国の完成という光のもとで黙想するための助けとして記しました。
創造の出来事は、万物の始まりを語るだけではありません。
すべての存在が何のために造られ、どこから来てどこへ向かうのか──
新約聖書が証しする答えが、創世記の御業の中にどのように映し出されているのか。
その真理を求める者を、御霊は導いてくださいます。
聖書に並べられた多くの不思議な事柄は、聞く耳のある者を呼び起こし、神ご自身が語りかけ、その栄光を讃える者へと導くために、主が御心によって置かれたものだと信じます。
創造の七日間は、キリストにおける贖いと、終末における完成へとつながる一本の救済史として語られているとの黙想です。
ここで扱われる内容は、知識を積み上げるための注解ではありません。 創造・贖い・完成が重なり合う象徴を通して、御言葉が示してきた真理の深みを受け取るための黙想です。
象徴は、一つの真理が角度を変えて照らされる光のように、異なる響きをもって届きます。 そのため、この黙想は急いで理解する必要はありません。
むしろ、心に留まる言葉の前で立ち止まり、御言葉が照らす光の中で、御子において為される神の御業をゆっくり味わう読み方がふさわしいものです。
創造の各日には多くの象徴が登場しますが、そのすべては最終的に、「キリストと花嫁が一体となる」という御国の完成を経て、神の栄光へと向かっています。
細部に迷うときには、「これはどのように一体の人につながるのか」という問いを置いてみてください。 その問いは、創造から終末までを貫いて理解する助けとなります。
創造の出来事、イスラエルの歩み、キリストの十字架、そして終末の完成── これらは別々の物語ではなく、同じ御計画が、異なる時代と象徴を通して証しされる神の業です。
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
1:8 この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、
1:10 時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。
1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。
1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。