長血の女の癒し  聖書学び(研究)

20209.26 聖書研究会 分かち合いより

 

§.  マタイ9章 長血の女の癒し

 9:1 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。

 9:2 すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。

 9:3 すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている」と言った。

 9:4 イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。

 9:5 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

 9:6 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。

 9:7 すると、彼は起きて家に帰った。

 9:8 群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。

 9:9 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。

 9:10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。

 9:11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」

 9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

 9:13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 9:14 するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」

 9:15 イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。そのときには断食します。

 9:16 だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。

 9:17 また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」

 9:18 イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」

 9:19 イエスが立って彼について行かれると、弟子たちもついて行った。

 9:20 すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。

 9:21 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と心のうちで考えていたからである。

 9:22 イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。

 9:23 イエスはその管理者の家に来られて、笛吹く者たちや騒いでいる群衆を見て、

 9:24 言われた。「あちらに行きなさい。その子は死んだのではない。眠っているのです。」すると、彼らはイエスをあざ笑った。

 9:25 イエスは群衆を外に出してから、うちにお入りになり、少女の手を取られた。すると少女は起き上がった。

 9:26 このうわさはその地方全体に広まった。

 9:27 イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。

 9:28 家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは「そうです。主よ」と言った。

 9:29 そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。

 9:30 すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。

 9:31 ところが、彼らは出て行って、イエスのことをその地方全体に言いふらした。

 9:32 この人たちが出て行くと、見よ、悪霊につかれて口のきけない人が、みもとに連れて来られた。

 9:33 悪霊が追い出されると、その人はものを言った。群衆は驚いて、「こんなことは、イスラエルでいまだかつて見たことがない」と言った。

 9:34 しかし、パリサイ人たちは、「彼は悪霊どものかしらを使って、悪霊どもを追い出しているのだ」と言った。

 9:35 それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。

 9:36 また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。

 9:37 そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。

 9:38 だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

 

 

 

 会堂管理者の娘のよみがえりの物語の中に、長血の女の癒しが差し込まれていることについて、考察したい。 12年の間長血を患って誰にも癒すことのできなかったこの女の癒しは、汚れと清めに関して扱う神のご計画とインマヌエルの救いの実現を覚える。

 

§. 【女の汚れについて】

 この「女」がなにを意味するものであるかは、聖書がいつも、神のイスラエル、神の教会、といった、主なる神を夫、メシアを花婿と呼んで、ここでの「女」が神の民イスラエルの立場であることを思わせる。マタイの福音書での長血の「女」とは、癒し主のインマヌエルがイスラエルの只中に来て、約束の通りに救いが実現したことを感動をもって証される。

 事実の出来事としては、女が12年の間長血を患っている。こういった状態の者を、神の律法は、汚れているとした。これは霊的な立場を教えている。レビ記には、女の月のさわりの漏出について、その期間、本人も触れる者も汚れると定めている。そして、月のさわりでもないのに血の漏出があるなら、その者は、その期間に受ける扱いと同じように、汚れたものと取り扱われなければならない。このような規定は、主が聖であるから、あなた方も聖でなければならないという教えに続くもので、イスラエルにおける、「汚れ」「きよめ」に関する事柄である。

レビ記

15:25 もし女に、月のさわりの間ではないのに、長い日数にわたって血の漏出がある場合、あるいは月のさわりの間が過ぎても漏出がある場合、その汚れた漏出のある間中、彼女は、月のさわりの間と同じく汚れる。

15:26 彼女がその漏出の間中に寝る床はすべて、月のさわりのときの床のようになる。その女のすわるすべての物は、その月のさわりの間の汚れのように汚れる。

15:27 これらの物にさわる者はだれでも汚れる。その者は衣服を洗い、水を浴びる。その者は夕方まで汚れる。

15:31 あなたがたは、イスラエル人をその汚れから離れさせなさい。彼らの間にあるわたしの幕屋を汚し、その汚れたままで彼らが死ぬことのないためである。」

 

 「12年」とわざわざ病の期間が汚れた女の期間としてみ言葉に記されていることにも何かしらの意味があるものと捉えたい。

 神の民、神の国において、12は、父の家を思わせ、神の所有の民を思わせる。イスラエルの12部族をはじめ、主は12使徒を選ばれた。使徒たちの受ける報いとして、「イスラエルの12の部族を裁く」と御国の統治について教えておられ、黙示録7:4には、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人(12部族×12000)であった」と、この人数が神の所有として刻印を受けている。

 女の長血の期間が12年であったことは、神の所有とされたその者が、それにもかかわらず、あるべき立場において相応しくない汚れたものとして、神のみ前に立ち得ず、主(夫・男)が触れることのできないものとして、長く苦しんでいるさま、癒されぬ女イスラエルを言い表している。汚れたものは、神の幕屋において、主の住まわれる天の御国において、受け入れられない状態を言い表している。

 霊的な意味として、このような状態は、罪と汚れに起因しており、まさしく、旧約時代に描かれたイスラエルそのものの姿である。

 かつて、イスラエル(エルサレム)がバビロンによって裁きを受け、破滅した(死んだ=眠った)とき、彼女の汚れは人の手の業によってはどのようにしてもきよめえないものであった。

どんな宗教改革をしても、祭司や学者たち、預言者の言葉(医者)によっても良くならず、むしろ多くの場合、偽預言者たちの手によってますます悪くなり、彼女の汚れは人においていやしがたく、解決不能なものとなった。(エレミヤ書25章、30章12節〜、U歴36)

U歴代誌

 36:12 (最後の王ゼデキヤ)はその神、【主】の目の前に悪を行い、【主】のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。

 36:13 彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、【主】に立ち返らなかった。

 36:14 そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌みきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された【主】の宮を汚した。

 36:15 彼らの父祖の神、【主】は、彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。

 36:16 ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、【主】の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。

 

 本来、イスラエルの部族がどのようにして神に受け入れられ、御前に立つのかということが、聖別といけにえに関する民数記7章の記事によって思い起こされる。

 イスラエルの12の部族は、神が彼らの中に来られ、このお方の御前に立って、主との交わりの内に受け入れられようとする時、つまりモーセが主の幕屋を建て終わり、祭壇と主の器具のすべてを聖別し終えたときに、父祖の家の頭たちは祭壇奉献の捧げものをした。12の部族がそれぞれ、ささげものを行うことが詳細に省かれることなく記されている。

 イスラエルは、その部族の数に従って、1日ごとに部族のかしらが一人ずつ捧げものをしたので、この捧げものの期間は12日もの期間を通して行われた。神に近づくいけにえによって、聖別されて、主のものとなるためのものである。

 この12日間の後には、乙女イスラエルは、主にふさわしく整えられたものとして、御前に立つことができる者となる。

 祭壇奉献の捧げものがなされた時とは、「主の幕屋を建て終わり、祭壇と主の器具のすべてを聖別し終えたとき」とあり、主がイスラエルの内に住まわれ、民が整えられて、主の御前に立つ(受け入れられる)「とき」を示している。ちょうど生理を体験する乙女が、初めて血を流す(初潮の)経験をしたとき、その者は、相手と結ばれるにふさわしい時を迎えており、体に変化を感じて、その時のためにふさわしく整えられた(別たれた)もの、乙女が子を産める(結婚できる)女の体となったことが明らかとなるときである。その経験を通して、女は、幼子から乙女として受胎の(結ばれる)体となったことを知る。主の幕屋を建て終わったところで、イスラエルの部族が主にまみえる時は、女がはじめて血を流す経験の後に、結婚することのできる年頃となった乙女イスラエルが整えられて主のものとなるはずのときのことを思わせる。

 しかし、イスラエルの現実は、12日をかけて聖なるものとされるどころか、神の御前に整えられることなく、いつまでも、すべての部族がことごとく、主の日に至るまで、その全てが、偽りと不実の捧げものによって、身を汚した。12日間を通して捧げられたいけにえの期間が、聖別されて主の前に立つものとして本来備えられていたのに、現実のイスラエルはきよめられるどころか、「女」はそれと同じ期間を意味する12年もの間、長血を患って、主の御前に立つことのできない汚れたままの者、むしろ悪くなる一方であった。癒しがたいものとなった女の内に、霊的イスラエルそのものの姿が映されている。

 主の前に出て(聖なるものとして)受け入れられるために、捧げられたイスラエルのいけにえは、身を清めて主に受け入れられ結ばれるためのものではなく、主から遠く離れた心において、偶像崇拝、姦淫の裏切り、偽善に満ちものでしかなかった。

同じマタイ913節で「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」とお語りになって、救いの業を証しされたイエス様は、イスラエルが捧げたいけにえによっては、神に近づくことはできず、神の前にふさわしく花嫁として整えられなかったことを証ししている。神の所有とされた民は、12の部族がことごとくいけにえを捧げたが、終わりの日には、もれなく不適合のものとなった。このようなシオンの娘の汚れを取り除き、神に近づけさせ、受け入れられるものとするのは、メシアの救い、癒しの奇跡による。

 それをきよめえるのは、メシアとして彼女の前に立つ方、イエス様だけであった。主はそのためにイスラエルに来られた。

 

 女は主の衣の房を後ろからそっとさわりたいと考えた。ここに信仰がある。彼女の信仰を霊的なものとしてとらえるなら、その信仰は、神への悔い改めとへりくだりを指し示すものである。

 主の衣には、房があり、その隅の房には青いひもがつけられていたと考えられている。

民数記

15:38 「イスラエル人に告げて、彼らが代々にわたり、着物のすその四隅にふさを作り、その隅のふさに青いひもをつけるように言え。

15:39 そのふさはあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、【主】のすべての命令を思い起こし、それを行うため、みだらなことをしてきた自分の心と目に従って歩まないようにするため、

15:40 こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行い、あなたがたの神の聖なるものとなるためである。

15:41 わたしはあなたがたの神、【主】であって、わたしがあなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から連れ出したのである。わたしは、あなたがたの神、【主】である。」

 このような「房」に触ることで癒されると信じる時、この信仰は、「それを見て、【主】のすべての命令を思い起こし、それを行うため、みだらなことをしてきた自分の心と目に従って歩まないようにするため、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行い、あなたがたの神の聖なるものとなるため」という事柄が、意識される。このような意味合いで房を持つ信仰が描かれるとき、天の御国における働きにおいては、霊的な意味で、イスラエルのへりくだる信仰を覚えさせられる。神の御心に従い、み言葉に従って歩みたいと願う女の姿が衣の房をつかむ姿に言い表される。

 彼女の信仰は主に触れて、たちどころに全く癒された。

 神の所有であった民が、12年もの間、相応しいものとされず、神の御前に立てない、汚れたままのものであった。

 いつからだろうか。おそらく、月のさわりが始まった時代からの最初の時からのものだろう。この女は、時が来たなら夫と定められた人の前に立つことができる、そのような時から、汚れたままの者であって、夫に迎えられることのない汚れたみじめなものである。そして、それは、神の御前にある霊的な神の民の姿でもあった。彼女(イスラエル)は時が来ても、主に迎え入れられることのかなわない、どうしようもなく汚れたものであり、その傷は癒しがたかった。

 イスラエルの汚れは偶像崇拝によって自らを汚してきたのであるが、この女の長血が象徴する汚れはまさにそのような霊的姦淫、偶像崇拝にかかわってきたイスラエルの立場であろう。神を受け入れるはずのその身は、主と結ばれ得ない、触れることのできない汚れに満ちている。

 さて、本来、生理は、結婚(主との結合)の備えとしてのからだの仕組みである。血の漏出は受胎の準備であり、夫を受け入れるための女としての体の構造である。しかし、いつまでも、治まらないで、いつになってもきよめられず、いけにえによって清められるはずの期間(12)と同じだけの期間(12)を費やして、結果は、全く癒される望みのない長血の者となった。

 しかし、イエス様がこの地に、インマヌエルとして来られた時、女は、主にへりくだる信仰の告白をもって房をつかむのである。神の御心は、イエス様において成し遂げられる。長血の女に対して、たちどころに癒しが実現した。彼女は誰にもきよめることのできない癒えない病をただ主イエス様によって癒された。この方こそ信仰によって主を求める神の民のために来てくださる方メシアである。ここには、天の御国においてなされる神の民に対する主の癒しのご計画と働きがある。

 主は「立ち止まり」、後ろからそっと触った彼女に対して、「振りむいて」、彼女に「目を留められた」。そして、この癒しが主への信仰によるものであるとはっきりと表明された。

 主は彼女から汚れを除き去った。その根本原因をたちどころに一瞬のうちに除き去った。「一瞬の内に」「きよめられる」ことは、神のご計画において、イスラエルの咎が一日の内に取り除かれる様を思わせる。

・ゼカ3:9 見よ。わたしがヨシュアの前に置いた石。その一つの石の上に七つの目があり、見よ、わたしはそれに彫り物を刻む。──万軍の【主】の御告げ──わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く。」

・ゼカ13:12 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。その日、──万軍の【主】の御告げ──わたしは、偶像の名(バビロンの裁きを思わせる)をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。

・エステル記では1日の内にユダヤの根絶やしが決定され、同じ一日の内に仇が取り除かれた。これは、死とよみがえりが同時にある預言に似ている。

・イザ 66:8 だれが、このような事を聞き、だれが、これらの事を見たか。地は一日の陣痛で産み出されようか。国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。

 

§. 【復活の少女】

 さて、長血の女の記事は、会堂管理者の娘の救いに足を向けておられた道中のことである。長血の女と指導者の娘の死と復活の記事の関連性は何だろうか。

 死んでしまった娘は、マタイには隠されているが12歳であった。それゆえ、この娘は乙女である。イエス様が来て、彼女のところに表れてくださる前に、死んでしまった。少女が死んだこの嘆きは父の嘆きだけではなく、乙女イスラエルの死は、それこそ主ご自身が嘆かれることである。

エレ18:13 それゆえ、【主】はこう仰せられる。『さあ、国々の中で尋ねてみよ。だれが、こんなことを聞いたことがあるか。おとめイスラエルは、実に恐るべきことを行った。・・・エレ 14:17 あなたは彼らに、このことばを言え。『私の目は夜も昼も涙を流して、やむことがない。私の民の娘、おとめの打たれた傷は大きく、いやしがたい、ひどい打ち傷。・・・

 これも、神の前に死んでいったイスラエルの姿である。乙女が、ついに死んだ。しかし、かつて、エレミヤの時代、このイスラエルはバビロンで死んだも同然なものとなったが、主が王として来られるとき、イスラエルから汚れを除き去り、彼女を眠りから覚まされる。死者を生かされる。それが、乙女のよみがえりの記事の関連性の中で覚えさせられる。

エレ 31:4 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。

  主は、時を定め、かつて大いなる御腕を奴隷の苦役と圧政を受けていた神の民のためにエジプトの上に延ばされたように、死と黄泉のうちに沈む神の民の住むバビロンの上に延ばし、バビロンを裁き、そこから彼女を連れ出した。娘たちに汚れた彼らの国から出ていくことを求められた。そして、主は信仰によって、へりくだって、主の哀れみを求めて慈しみにすがる彼女に対して、哀願の霊を注がれる。この裁きと憐みによる主の救いは、メシアの日に起こる神の業である(エレミヤ書31)。彼女の咎は一日の内に、汚れを、一瞬間に取り除かれる。そして、王なる主がシオンに来られるとき、眠った生徒は甦らされる。乙女は、傷なきものとして御前に立たせられる。汚れた死んでいった乙女を生かして、聖なるものとして立たせ、乙女として主は手を取って彼女を立ち上がらせ、迎えられる。

 長血の女が癒されたことは、汚れが除かれたということであり、この癒しは救いである。しかし、その先に、何があるのか、乙女として始まった最初の時より、本来主の御前に聖別されるべき12の期間は、汚れ、主に迎えられるものとしてふさわしいものとなりえず、汚れ果ててしまった女。しかし、咎と汚れが除かれたのちに、長血の女の癒しの先に「(12歳の)乙女の復活」が延長線上に描かれている。長血の女の癒しの先に復活の乙女が立たされている。主は彼女の手を取って起こされるのである。新しく主の御前に立たされる女、死んでいたものが生かされるその少女は、新しい命を得、生まれ変わった者であり、不品行の汚れと姦淫の12年の汚れの時を経た傷跡を負った者としてではなく、乙女(ユダヤでは結婚ができる年を迎えようとする12歳の少女)がイエスキリストの御前に立ちあがらされているのである。

 そして、それは、神の民の姿、主の救いの取り扱いの奇跡を覚えさせられる。イエス様の前に、救いに預かる神の民が主に結ばれるべく、乙女として、立たされているという奇跡は、どのような感動をもって宣べたらよいだろうか。マタイはこの奇跡を神の民のインマヌエルの救いとして証しているのだと思う。神のキリストにおいてなされるご計画がこの福音宣教の中に示され、イエス様こそ、御国の王として、信じる者の義となり、きよめとなり、贖いとなられてご自身の所有の民を救う「メシア」である。

 

 

 

§. (補足)

※会堂管理者の娘であったことも、主を礼拝する者たちの家の娘として、主が神の「家」を、主の日に整え祝福される預言の関連にも注目できる。

 エレ52

 52:12第五の月の十日──それは、バビロンの王ネブカデレザル王の第十九年であった。──バビロンの王に仕えていた侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、

 52:13 【主】の宮(主の家tyIB)と王宮(王の家tyIB)とエルサレムのすべての家(エルサレムの全部の家tyIB)を焼き、そのおもだった建物(重要な家tyIB)をことごとく火で焼いた。

 

 52:31 ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が即位した年のうちに、ユダの王エホヤキンを釈放し、獄屋から出し、

 52:32 彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。

 52:33 彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。

 52:34 彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。

 

§. 〜 考察の記述省略

§. 関連の5書[ 民数記7 ]

 7:1 モーセは幕屋を建て終わった日に、これに油をそそいで、聖別した。そのすべての器具と、祭壇およびそのすべての用具もそうした。彼がそれらに、油をそそいで聖別したとき、

 7:2 イスラエルの族長たち、すなわち彼らの父祖の家のかしらたち──彼らは部族の長たちで、登録を担当した者──がささげ物をした。

 7:3 彼らはささげ物を【主】の前に持って来た。それはおおいのある車六両と雄牛十二頭で、族長ふたりにつき車一両、ひとりにつき牛一頭であった。彼らはこれを幕屋の前に連れて来た。

 7:4 すると【主】はモーセに告げて仰せられた。

 7:5 「会見の天幕の奉仕に使うために彼らからこれらを受け取り、レビ人にそれぞれの奉仕に応じて渡せ。」

 7:6 そこでモーセは車と雄牛とを受け取り、それをレビ人に与えた。

 7:7 車二両と雄牛四頭をゲルション族にその奉仕に応じて与え、

 7:8 車四両と雄牛八頭をメラリ族に、祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある彼らの奉仕に応じて与えた。

 7:9 しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものにかかわる奉仕は、肩に負わなければならないからである。

 7:10 祭壇に油がそそがれる日に、族長たちは祭壇奉献のためのささげ物をささげた。族長たちが自分たちのささげ物を祭壇の前にささげたとき、

 7:11 【主】はモーセに言われた。「族長たちは一日にひとりずつの割りで、祭壇奉献のための彼らのささげ物をささげなければならない。」

 7:12 第一日にささげ物をささげたのは、ユダ部族のアミナダブの子ナフションであった。

 7:13 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:14 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:15 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:16 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:17 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミナダブの子ナフションのささげ物であった。

 7:18 二日目にはイッサカルの族長、ツアルの子ネタヌエルがささげた。

 7:19 彼はささげ物をした。銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:20 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:21 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:22 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:23 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがツアルの子ネタヌエルのささげ物であった。

 7:24 三日目にはゼブルン族の族長、ヘロンの子エリアブであった。

 7:25 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:26 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:27 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:28 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:29 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがヘロンの子エリアブのささげ物であった。

 7:30 四日目にはルベン族の族長、シェデウルの子エリツルであった。

 7:31 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:32 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:33 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:34 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:35 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがシェデウルの子エリツルのささげ物であった。

 7:36 五日目にはシメオン族の族長、ツリシャダイの子シェルミエルであった。

 7:37 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:38 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:39 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:40 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:41 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがツリシャダイの子シェルミエルのささげ物であった。

 7:42 六日目にはガド族の族長、デウエルの子エルヤサフであった。

 7:43 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:44 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:45 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:46 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:47 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがデウエルの子エルヤサフのささげ物であった。

 7:48 七日目にはエフライム族の族長、アミフデの子エリシャマであった。

 7:49 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:50 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:51 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:52 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:53 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミフデの子エリシャマのささげ物であった。

 7:54 八日目にはマナセ族の族長、ペダツルの子ガムリエルであった。

 7:55 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:56 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:57 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:58 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:59 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがペダツルの子ガムリエルのささげ物であった。

 7:60 九日目にはベニヤミン族の族長、ギデオニの子アビダンであった。

 7:61 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:62 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:63 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:64 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:65 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがギデオニの子アビダンのささげ物であった。

 7:66 十日目にはダン族の族長、アミシャダイの子アヒエゼルであった。

 7:67 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:68 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:69 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:70 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:71 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミシャダイの子アヒエゼルのささげ物であった。

 7:72 十一日目にはアシェル族の族長、オクランの子パグイエルであった。

 7:73 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:74 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:75 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:76 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:77 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがオクランの子パグイエルのささげ物であった。

 7:78 十二日目にはナフタリ族の族長、エナンの子アヒラであった。

 7:79 そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。

 7:80 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。

 7:81 全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。

 7:82 罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。

 7:83 和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがエナンの子アヒラのささげ物であった。

 7:84 以上が祭壇に油がそそがれる日の、イスラエルの族長たちからの祭壇奉献のささげ物であった。すなわち銀の皿十二、銀の鉢十二、金のひしゃく十二。

 7:85 銀の皿はそれぞれ百三十シェケル、鉢はそれぞれ七十シェケル。これらの器の銀は、合わせて、聖所のシェケルで二千四百シェケル。

 7:86 香を満たした十二の金のひしゃくは、聖所のシェケルでそれぞれ十シェケル。ひしゃくの金は、合わせて百二十シェケル。

 7:87 全焼のいけにえとして家畜は合わせて、雄牛十二頭、雄羊十二頭、一歳の雄の子羊十二頭、それにそれらにつく穀物のささげ物。また罪のためのいけにえとして雄やぎ十二頭。

 7:88 和解のいけにえとして家畜は合わせて、雄牛二十四頭、雄羊六十頭、雄やぎ六十頭、一歳の雄の子羊六十頭。これが祭壇に油がそそがれて後の祭壇奉献のためのささげ物であった。

 7:89 モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。