生ける信仰(5/5)


 福音書のこの記事の状況は、弟子も群集も全ての主に相対する者は、イエス・キリストに対する浅い信仰、不完全な信頼を持ってイエス様の御前にある。主がここで語り導く先は、御自身への完全な信頼、純粋な信頼であった。
 イエス様はイエス様の示すそのとおりの真実を真っ向から受け止めさせたい。主の語られるありのままの御心で受け入れることを願っておられる。そしてそれこそ生ける信仰である。だから、ペテロの告白の記事(16章)を思うとき、ペテロの主への告白は「父なる神が示したもの」とおっしゃった。その告白は神が示した真実(イエス=キリスト)をそのままの意味で受け入れる人の信仰である。父なる神が示したキリストをそのとおりに受け止める信仰がペテロの告白なのである。

 神が示してくださる全ての霊的なわざ(私たちへの恵み・救い・神御自身を示されること)をそのまま受け入れる信仰は、主を告白する。
 主の救いのわざを純粋に受け止める時、その信仰は主を告白する。
 そして、その信仰告白はクリスチャンを主とともに生かす事実を新たに覚えさせる力となる。
 信仰告白者を生きた信仰へと導くのである。


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鈴ヶ峰キリスト福音館