主と出会う場所(2/3)


 弟子たちは主の言われた地にきていた。彼らは主を待っていた。
 弟子たちは漁をしはじめる。ペテロは失意の中で復活の主を待ち望んでいた。
どのように自分がイエス様に受け入れられるか不安だったかもしれない。しかし、主に愛されたあの弟子が「主です」とペテロに言うと、彼はいても立ってもいれらず主のみもとに飛び込んでいった。

ペテロ自身に会われた主を御前にして一体どれほどの喜びと感動があったことだろうか。

 復活の主を知ることと出会うことには大きな開きがある。ペテロは女たちによって復活の主のニュースを知っていた。しかし、ここにおいて〔再び〕主と出会う。

 私たちは主が復活されていることをよく理解している。
 しかし、それと復活の主と出会うことには較差がある。

――私はヘルモン山荘(長野菅平)に行ったときの感動を今でも覚えている。早朝、ヘルモン山荘から日本アルプスの山々が見えるのだ。なんと幻想的で荘厳な美しさだったことか。私はこれらのものが美しいものであることを知っていた。知識で知っていた。しかし、朝起きて見たときはすごい。感動するのだ。美しいことを知っていることと美しいものに出会っている感動とには天と地ほどの違いがある。――

 知る事と出会うことには開きがある。
では、信仰生活の中で「主とどこでお会いできるのでしょうか」と尋ねる。
 それは、御使いが言ったように生きている方を死人の中から捜すべきではない。『主のおられる場所』に行くべきなのである。

――どこで主とお会いするのか――


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鈴ヶ峰キリスト福音館