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デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊の実は愛」 (The Fruit of the Spirit is Love)(1/15)


聖霊に満たされる生活の実際について、より実践的な観点から考察し、聖霊に満たされているということが、私たちの日々の歩みや言動のなかに、いかに現われてくるのかということについてお話ししたいと思います。

旧約聖書において、聖霊は神の奥義を現わすための神聖なる啓示の御霊として、あるいは神の働きを遂行するための力として、人間のうえに臨むことがしばしばあったことはご存じの通りです。しかし、その時御霊は人間のなかに留まることはしませんでした。今日、多くの人は旧約聖書に見られるような働きを為すための力の賜物を求めています。しかし、新約聖書におけるような、いのち全体に息吹を与え新たにしてくれる内住の御霊の賜物についてはほとんど何も知らないのです。神が聖霊を与えてくださるとき、その偉大なる目的は私たちのうちに聖なる人格を形造ることです。それは聖い心と霊的性質の賜物であり、何にもまして私たちにとって必要なことは、このように言うことなのです。

「もしも私が本当に神のご栄光のために生きることを願うのなら、私の内なる生活全体を聖別してくださる聖霊様をいただかなくてはならない。」

キリストが弟子たちに御霊を約束して下さったとき、キリストは弟子たちが証人となる力を持つためにそうしてくださったのではありませんでしたか、とあなたがたは言うかもしれませんね。その通りです。しかし弟子たちは大いなる御国の力とリアリティとをもって聖霊を受けたので、聖霊はただちに彼ら自身を所有するまでとなり、彼らが証しすべき時に必要な力をもってその働きを為すことの出来る聖なる者となるよう、ふさわしくしてくださったのです。キリストは弟子たちに力について語りましたが、その力をもたらしたのは弟子たちを全てに至るまで満たしてくださった御霊であったのです。

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