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デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊の実は愛」 (The Fruit of the Spirit is Love)(11/15)


私たちの愛は神の力を示します

なぜ私たちは「御霊の実は愛です」と教えられているのでしょうか。それは、神の御霊は私たちの日々の生活を、ご自分の子供たちのために神がなしてくださる神聖なる力と啓示の現われとして用いるためにやって来られたからです。

使徒の働きの第2章と4章では、弟子たちが一つの心、一つの魂になっていたことがわかります。キリストと共に歩んだ3年の間には、彼らがそのような霊を持つことは決してありませんでした。キリストのいかなる教えをもってしても、弟子たちに一つの心、一つの魂を持つよう学ばせることは出来なかったのです。しかし、聖霊が天から下り、彼らの心に神の愛を注いでくださいました。それによって弟子たちは心も魂も一つになることが出来たのです。弟子たちの心を天からの愛で満たして下さったその同じ聖霊に、私たちの心も満たしていただかなくてはいけません。それ以下ではだめなのです。キリストがなさったように、たとえ誰かが3年間天使の舌をもって愛について教えたとしても、聖霊の力が下って人の心を天からの愛で満たしていただかない限り、誰も愛することを学ぶことは出来ないのです。

教会全体について考えてごらんなさい。どれだけ多くの分裂があることでしょう! 様々な教派教団がありますね。聖潔の問題にしても、御血潮の清めの問題にしても、聖霊のバプテスマにしても、これらの事柄が愛すべき信者たちの間に何と多くの違いをもたらしてきたことでしょうか。異なる考え方があること自体は少しも問題ではないと私は思います。私たちは皆、まったく同じ体質を持ち、気質を持ち、心を持っているというわけではないのですから。しかし、神の御言葉から出る最も聖いはずの真理のゆえに、なぜこんなにも憎しみや苦味、侮辱、分離、愛の欠如が生み出されてしまうのでしょうか。 それは、自分たちの教義や信条の方が、愛よりも大切なものになってしまったからです。自分は真理のためには何事にも譲らないのだなどと思い込み、愛を持って真理を語るという神からの命令を忘れてしまうのです。それはルーテル派やカルバン派の教会改革の時にもまさにその通りでした。本来ならば全ての信者がひとつに結ばれる目的で行われるはずの聖餐の儀式に関して、その時どれだけの苦味があったことか。時を経て現在でも同じことです。神の最も麗しい真理が山となり、私たちを分裂させてしまったのです。

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