推薦メッセージ
デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊の実は愛」 (The Fruit of the Spirit is Love)(12/15)


もし私たちが力ある祈りをしたいと願うのなら、もし聖霊が力を持って私たちに臨んで下さることを求めるなら、そして神がご自身の御霊を注いでくださるというまさにそのことを欲するのなら、私たちは御国の愛をもって互いに愛し合いますという契約を、神との間に結ばなくてはなりません。

あなたはそうする用意が出来ていますか? 全ての神の子供たち--誰よりも愛し難く、愛に欠け、愛される資格もなく、耐え難く苦々しい存在である子供たち--を愛することが出来るほど十分に大きな真実の愛は御霊から来る愛だけなのです。神に完全に明け渡すという私の誓いに偽りがないのなら、それは同時に、神聖なる愛で自らを満たしていただくこと、そして私の回りにいるすべての神の子供たちを愛する愛の僕になることに対して、自分を完全に明け渡すことを意味するのです。「御霊の実は愛です。」

おぉ、御父の御心とその永遠の愛ゆえにキリストの右の手に聖霊を与えて下さったとき、神は大変素晴しいことをなしてくださいました。それなのに私たちは聖霊を、働きをするときに用いるための単なる力におとしめてしまったとは! 神よ、私たちをお赦しください! あぁ、聖霊が、キリストと神のご性質とその命で私たちを満たして下さる力として、栄光をお受けになりますように!

キリスト者の働きには愛が必要です

「御霊の実は愛です。」もう一度お尋ねします。なぜ御霊の実は愛なのでしょうか? 答えはこれです。この愛こそが、キリスト者がその働きをするに当たって、唯一必要となる力であるからです。 

そうです、私たちに必要なのはこれなのです。私たちを互いに一つに結ぶための愛が必要なだけでなく、まわりにいる失われた魂の救いのために働くにあたってもこの神聖なる愛が必要なのです。おぉ、ちょうど人々が博愛精神に基づく事業を請け負うかのように、私たちもまた、同胞に対する自然な同情心からどれだけ多くの働きを自分の力でなそうとしてしまうことでしょう。 ただ牧師や友人に頼まれたからというだけで、私たちがキリスト者としての働きを往々にして安易に請け負ってしまわないでしょうか? そして、私たちはある種の情熱を持ちつつも、愛のバプテスマを受けることはなしに、キリスト者としての働きを行ってしまうことが珍しくないのではありませんか?

[戻る] / [進む]
[GoHome]