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グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊の実は愛」 (The Fruit of the Spirit is Love)(2/15)


ここでガラテヤ書5章22節の御言葉に目を留めてみたいと思います。

「御霊の実は愛です」

聖書には「愛は律法が成就されたもの」と書いてありますが、私の願いは、二つの目的をもって愛を御霊の実として語ることです。一つはこの言葉が私たちの心のサーチライトとなり、聖霊について私たちが抱いている全ての考えや、また聖い生活に対する私たちのあらゆる経験が、この言葉によって試されるようにということです。この言葉を基準に自分自身を顧みてみましょう。愛の御霊としての聖霊によって満たされるよう求めることは私たちの日々の習慣となっていたでしょうか?「御霊の実は愛です。」 聖霊に満たされれば満たされるほど、私たちはより愛に満ちた者へと変えられていくということを、経験して来ましたか? これこそが、聖霊を願うにあたっての私たちの第一の期待であるべきです。聖霊は愛の御霊としてやって来られるのです。

おぉ、もしもこれがキリストの教会のなかで真実であったなら、教会はどれだけ違った状態になっていたことでしょう! 御霊の実は私たちの生活の中に現わされる愛であるという、この単純で神聖な真理を我々がよく理解することが出来るよう、神が助けて下さいますように。そして聖霊が私たちの人生を所有して下さるようになるとき、私たちの心は本当の、神聖で、普遍的な愛に満たされるようになるのだということを、私たちに理解させて下さいますように。

神が教会を祝福出来ない最も大きな原因の一つは、愛の欠如です。からだに分裂があればそこに力はありません。激しい宗教戦争で、オランダがスペインに対して高らかに立ち向かったとき、オランダ側のモットーのひとつは「一致は力を生み出す」というものでした。神の民が一つのからだとして立ち上がる時、愛の交わりのなかで神の御前に一つとなる時、深い愛情を持って互いに愛し合う時、この世が見ることの出来る愛を持って私たちが一つとなる時、その時にこそ初めて、彼らが神に願い求めている祝福を確実なものにすることが出来るのです。もしも一つの器がいくつかのかけらに割れてしまうのであれば、その器は満たされることが出来ないということを忘れてはいけません。器の一部であるかけらを取り、それをわずかな水に浸すことなら出来るでしょう。しかしあなたが器一杯に満たすことを願うのであれば、その器には欠けたところがあってはいけないのです。これはキリストの教会について、文字通り真実です。私たちがなおも祈らなくてはならないことがあるのなら、それはこのことです。「主よ、聖霊の御力によって私たちを一つに溶かし固めて下さい。ペンテコステの日に弟子たちを一つの心、一つの魂としたその聖霊が、私たちの間でも同じ神聖なる働きをなしてくださいますように。神を賛美します、『御霊の実は愛』ですから、私たちが互いに神の愛を持って愛し合うことが出来ることを感謝いたします。」

愛することに自分を明け渡しなさい。そうすれば聖霊は来て下さいます。御霊を受けなさい。そうすれば御霊はあなたにさらに愛することを教えて下さるでしょう。

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