推薦メッセージ
デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊の実は愛」 (The Fruit of the Spirit is Love)(8/15)


愛は神様からの賜物です

もう一度聞きます。 なぜそうでなくてはいけないのでしょうか。私の答えはこれです。愛の賜物なしには愛に満ちた日々の生活を送ることはできないからです。

聖別された生活について語ろうとすると、私たちはしばしば気性について語らざるを得なくなります。時にはこのように言う人もいます。

「あなたは気性について多くを語り過ぎです。」

私は気性について多くを語り過ぎるということはないと思っています。時計と時計の針について少し考えてみてください。時計の針は、時計の中にあるものを示します。もしも針が止まっていたり、間違った時刻を指していたり、時計が遅れていたり進んでいたりしたら、私はその時計は中で何かがうまく動いていないと言うでしょう。気性とは、この時計の針のようなもので、私たちの内側がどうなっているのかを示してくれます。キリストの愛が私たちの心を満たしているかどうかの証明となるのが気性なのです。教会の中や祈祷会で、また主のために熱心に忠実に働いている時の方が、妻や子供や使用人との日常生活を送っている時よりも、聖く幸せであることはよりたやすいことであると感じている人は少なくないでしょう。 家庭の中よりも外での方が、聖く幸せであることはよりたやすいだなんて! 神の愛はどこにあるのでしょうか? キリストの中です。神はキリストを通して素晴しい贖いを私たちのために用意して下さいました。そして神は私たちのうちに超自然的な業をなしてくださろうと願っておられるのです。私たちはそれが完全に成し遂げられるようにと願い、求め、期待することを学んでいるでしょうか?

そして舌があります! 私たちはより良い生活、安らぎのある生活について語る時に、舌についても語ることがありま すが、多くのクリスチャンは舌についてなんと勝手なことを思っていることでしょうか。

「私には自分の好きなことを考える権利がある。」

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