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デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊の実は愛」 (The Fruit of the Spirit is Love)(9/15)


彼らが互いのことについて話す時、自分たちの隣人について話すとき、他のクリスチャンについて話すとき、どれだけ多くの毒舌がそこには見られることでしょう! 神は私が愛のない言葉を口から発することがないよう助けて下さいます。もしも私が愛のない言葉を語ろうとするなら、神は私の口を閉ざして下さいます。 しかし私が言っていることは事実です。一つの働きを共にするよう召されているクリスチャン同士の間でも、トゲのある批判や判断が飛び交い、軽率な意見や愛のない言葉が発され、互いの背後で侮辱や責任のなすりつけ合いが行われている・・・そういう場面をどれだけ目にすることでしょうか! おぉ、母の愛が子供を覆い、その中に喜びを見い出し、弱点や失敗を限りなく優しい同情心をもって受け入れる・・・ すべての信者の心の中には、キリストにある兄弟姉妹に対して、そのような母性愛があるべきではないのでしょうか?そのようでありたいと願ったことはありますか? それを求めたことはありますか? それを下さいと嘆願したことはありますか? イエス・キリストはこのように言いました、「私があなたを愛したように、あなたがたも互いに愛しあいなさい。」しかもイエスはそれを他の戒めと同列には置くことはせず、むしろこう言ったのです。

「これが新しい戒め、唯一の戒めです。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

御霊の実が愛であるということは、私たちにとって日々の生活であり、行いです。喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、あなたにはトゲや嫌味がなく、意地の悪さや自己中心もなく、神と人との前に心貧しくへりくだっている・・・ このような愛が具現されたすべての恵みや美徳は、そこからやってくるのです。これらはどれもどちらかといえば柔和な美徳であることがわかりますね。コロサイの「それゆえ、神に選ばれたもの、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」(訳注 3:12)の箇所を読むとき、私はしばしば思ったものです、もしも私たちがこのようなことを書いたのであれば、恐らく熱情とか勇気、勤勉といった男性的な美徳を前面に出したであろうと。しかしながら、より優しく、一番女性的と思われるような美徳こそ、このように聖霊に依存するものとして特に関連付けられていることに目を留める必要があるでしょう。実際のところ、これらは神聖なる恵みです。このようなものは異教徒の世界にはそれまで見られなかったものです。キリストはそれらの美徳を私たちに教えるために天からやって来る必要があったのでした。忍耐、柔和、親切こそあなたの祝福、神の御前においてへりくだることこそあなたの栄光です。キリストが十字架につけられた御自身の心から取り出し天から送って下さった御霊が、そして私たちの心へと与えてくださったその御霊が結ぶ実とは、何にも比べ難き最高の愛であるのです。

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