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デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「聖霊のために聖別される」 (Separated Unto the Holy Ghost )(6/9)


福音の働き人が、自分たちの働きの上に力の御霊が臨んで下さるよう聖霊を求めて神に泣き叫ぶように祈ることは珍しいことではありませんね。またそのように祈った後、力をいただいたと感じ、祝福を得、それゆえに神に感謝するということもよくあることだと思います。しかし、神はそれだけでなくさらに崇高なものを私たちが求めるようにと願っておられます。それは、自我に打ち勝ち、罪を追い出し、神聖で素晴しいイエスの御姿が私たちの中で具現されるようになるために、心や生活のなかにおける力の御霊としての聖霊を私たちが求めるようになることです。

賜物としての御霊の力と、聖い生活の恵みのための御霊の力には違いがあります。御霊の力を持っていても、恵みと聖さの御霊としての御霊の力を十分に頂いていないのなら、そのような人の働きにはいずれボロが出てくるのです。誰かの改心のきっかけとしては用いられるかもしれません。しかし改心した人たちが霊的な生活において、より高いスタンダードを持てるようになるための助けとして用いられることは決してないでしょう。そしてその人がいなくなるとき、その人の働きの大部分もまた一緒になくなってしまうかもしれません。しかし、聖霊のために聖別されている人は、このように言うために自分自身を明け渡している人です。
 
「父よ、どうか聖霊が私の中で完全に主導権を握ってくださいますように! 私の家庭で、私の気性で、私の舌にのぼる全ての言葉の中で、私の心の全ての思いの中で、仲間たちに対する一つ一つの感情のなかで、聖霊が完全に私を所有してくださいますように。」
 
これはあなたの心がずっと切望してきたものですか? 聖霊のために聖別され明け渡された人となるための、あなたとあなたの神との間の誓約はまさにこのようなものですか? あなたが天からの御声を聞くようにお祈りいたします。「私のために聖別されよ」、聖霊はそのように語っておられます。そうです。聖霊のために聖別されるのです。神の言葉が私たちを探るために私たちの存在の深みにまで入ってきて下さるよう、神が取りはからって下さいますように。もしも私たちがまだこの世から完全に離れ出ていないことがわかったなら、もしも神がそこに私たちの自己中心、強情、また自己陶酔などがあるのをお示しになったなら、神の前に自らをへりくだらせようではありませんか。

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