推薦メッセージ
デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「聖霊のために聖別される」 (Separated Unto the Holy Ghost )(8/9)


バニヤンの偉大なる作品の中で、クリスチャンが洞窟の扉を開けることの出来る鍵が彼の胸のなかにあったと発見したときの場面を、私たちは皆、読んだことがあるでしょう(訳注 「クリスチャン」はバニヤンの「天路歴程」の主人公の名前)。 私たちもまた、無神論や異教の洞窟の扉を開けることの出来る鍵を持っているのです。しかし、あぁ! 私たちは祈ることよりも、自分自身の働きのことに心を奪われ過ぎています。 私たちは神に語りかけるよりも、人に語りかけることの方が大切だと思っているのです。アンテオケの教会の人々から学びましょう。聖霊が私たちに命令する働きは、私たちを新しい次元の祈りと断食へ、この世の霊と快楽からの新たなる別離へ、そして神と、神との交わりに対する新たなる聖別へと私たちを召し出すのだということを。彼らは断食と祈りのために自分自身を放棄しました。私たちの月並なクリスチャンとしての歩みの中にもっと祈りがあるならば、私たちの内なる生活にももっと多くの祝福があることでしょう。もしも私たちの唯一の力はキリストとの一瞬一瞬の交わりの中にある、一瞬一瞬神に私たちの中で働いていただくことにあると、私たちが感じそれをこの世に証しするのであれば、もしもそれが私たちの思いであるならば、神の恵みによって、私たちの生活はもっと聖いものとならないでしょうか? もっと豊かに実を結ぶものとならないでしょうか?

神の言葉のなかで、ガラテヤ書の3章でパウロが言っていることほど厳粛な警告を私は知りません。パウロはこのように問いかけました。

「御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。」(訳注 ガラテヤ3:3)

これがどういう意味だかわかりますか? キリスト者の歩みには、それが多くの祈りと聖霊様の働きの中で始まったものでありながら、だんだんと逸れて、肉と並ぶようになっしまうかもしれない恐ろしい危険があるということです。そこで御言葉が言うのです。「御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。」私たちが最初に困惑の中、なすすべもなく神に必死で祈ったとき、神は祈りに答え祝福し、おかげで私たちの組織は完成させられ、働き人も増えていきました。しかし、組織や働きやその忙しさはだんだんと私たちを占領し始め、私たちの群れが以前まだ小さかった頃に私たちを始めて下さったはずの御霊の力が、完全に失われてしまったのです。 あぁ、私はあなたのために祈ります、このことをよく覚えておきなさい! 弟子たちが聖霊による指令を実行することが出来たのは、新しい祈りと断食、そしてさらなる祈りと断食によったのだということを。「私のたましいは、ただ神だけを待ち望みます。」これこそがもっとも崇高でもっとも大切な働きなのです。聖霊は信じて揺らぎのない祈りに対する答えとしてやってきます。

栄光のイエスが御座にあげられたとき、10日間の間、弟子たちは御座の足元で、イエスを待ち望みつつイエスに祈り叫んでいましたね。王は御座につき、しもべたちはその足元にいるということ、これが御国の法則です。神がいつも私たちをその場所に見つけてくださいますように!

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