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デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「人には出来ないことが、神には出来る」 (Impossible with Man , Possible with God)(5/7)


アブラハムを御覧なさい。キリストが生まれる家系の人々の父となるよう神がアブラハムを召したとき、神は彼にこのように言われました。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」そして神は、アブラハムが神を全能者として信頼出来るようになるまで訓練しました。それゆえに、自分がまだ知らない土地を得るために出ていくことであろうと、大勢のカナン人のなかに信仰をもって巡礼者として入っていくことであろうと、彼は信仰によりこう言いました、「これはわたしの土地だ。」あるいは、年老いて、とても子供など望めないような状態で25年もの間息子が与えられるのを待つことであろうと、モリヤ山でイサクを捧げものとして差し出そうとしたときに、イサクが死から起き上がらせてもらうことであろうと、アブラハムは神を信じたのです。彼の信仰は強く、神に栄光を帰すものでありました。なぜならば、アブラハムは神こそが約束されたことを実行してくださるお方であると信じたからなのです。

あなたのクリスチャン生活の弱さの原因は、神に手伝ってもらおうとしながらも、なおあなたが自分で半分手をかけているところにあるのです。それは出来ません。神に働いていただくためには、あなたは完全に無力にならないといけないのです。そうすれば神は素晴らしく事を行ってくださるでしょう。私たちが真に神の働き人となりたいのであれば、これこそがまさに必要なことなのです。モーセがいかにイスラエルの民をエジプトから脱出させることが出来たのか、ヨシュアがいかに彼らをカナンの地に導き入れたのか、さらに旧約聖書に出てくる神の僕たちが、みな不可能を行うにあたって、いかに神の全能に頼っていたのか、私は御言葉を通してあなたがたにひとつひとつ示すことが出来ます。 そして、この同じ神が今日も生きておられるのです。この同じ神が、神の子供たちひとりひとりの神であられるのです。にもかかわらず、私たちは自分で全力を尽くしている間は神にはほとんど手伝っていただこうとしません。本来なら神が私たちに願っておられるのは何であるのかを理解し、「私には何もできない。神になしていただくほかにはないし、神は全てをなして下さるであろう」というべきなのです。 あなたがたはこのように言ったことがありますか?「礼拝において、奉仕において、聖化において、神への従順において、私が自分で出来ることは何もない。ゆえに私がなすべきことは、ただ全能の神を崇め讃え、神がいつでも私のなかで働いて下さることを信じるのみだ。」 おお、どうか神がこのことを私たちに教えて下さいますように! おお、その恵みによって、私たちがどんなに素晴らしい神を持っているのか、どんなに素晴らしい神の御手に自分自身を委ねているのか、わからせて下さいますように! それが全能の神であり、神の子供たちひとりひとりのためになら、いつでもご自身全ての全知全能を私たちのうえに注いで下さる用意の出来ておられるお方であるのだと、私たちが知ることが出来ますように! 主イエスからの学びをいただき、こう言おうではありませんか!「アーメン、人には出来ないことも、神には出来る!」

ペテロの自信過剰や自力本願や強情について、また彼がいかにして彼の主を否定することになったかについて、私たちが何と言っていたか覚えておられますか?「あぁ、ここに自我の生活がある!ここに私を支配している肉の生活がある!」そのように感じたのでしたね。では今は、そこからの解放があることを信じますか? 全能の神は、自我の生活がもはやあなたの上に力や支配を持つことがないよう、キリストをあなたの心に示し、聖霊があなたを支配するようにしてくださることが出来るのだと信じますか? あなたはこの二つを合わせて、忍耐の涙と深い謙遜と弱さをもって、「あぁ神よ、私には不可能です。人には出来ません。しかし、栄光があなたの御名にありますように! それは神には可能なのです!」と叫んだことがありますか? 解放を宣言しましたか? 今それを行いなさい。 無限の愛の神の御手に自分自身を今、もう一度、完全に明け渡しなさい。神の愛が無限であるのと同様に、そのことを私たちになして下さる神の力もまた無限なのです。

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