推薦メッセージ
デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「私は本当にみじめな人間です!」(O Wretched Man that I am!)(1/7)


私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。
ローマ7:24、25

ローマ人へ宛てて書かれたこの素晴らしい書簡にある上記の箇所がどこにあるか、みなさんはよく御存知ですね。7章の終わりから8章へとつながる部分です。8章の最初の16節において、聖霊のお名前が16回出てきますが、神の子供が聖霊の力によって生きる人生がどのようなものであるか、どのような約束を頂いているのかについて、読むことが出来る箇所です。これは2節から始まります、「なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」パウロはここから、神の御霊に導かれて歩むべき神の子供であることの素晴らしき特権について語り始めます。これら全てに至るまでの門戸が、7章の24節にあります。

「私は、ほんとうにみじめな人間です。」

これは自分自身の限界まで来てしまった人の言葉です。この前までの節においてこの人は、神の聖なる律法を守るため自分自身の力でなんとかしようとして、いかに苦しみもがき、挙げ句に失敗してしまったかを語っています。しかし彼が自らの質問に答えんとするとき、彼は真実の答えを発見し、そして叫ぶのです。「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」この時点から、彼は自分が発見した解放がどのようなものであるかを語り始めます。

これらの箇所から、人がいかにして奴隷の霊から自由の霊へと導き出されるのか、その道のりについて説明したいと思います。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく・・・」と、どれだけはっきりと書かれているか、御存知でしょう。再び奴隷へと逆戻りしてしまうこと、それこそがクリスチャンの歩みにおいて最も危険なことであると、私たちは常に警告されています。ですから、私は人が奴隷から神の子供としての栄光ある自由へと入っていくための道について語りたいと思います。さらに、その人そのものについても説明しましょう。

まず第一に、これらの言葉は新生した人の言葉であるということ、第二に、不能な人の、第三にみじめな人の、そして第四に完全な自由への境界線まで来ている人の言葉であるということです。

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