推薦メッセージ
デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「私は本当にみじめな人間です!」(O Wretched Man that I am!)(2/7)


新生した人

この章の14節から23節には、新生の証拠が十分にあります。「それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です」、これは新生した人、すなわち自分の心と本質が新しくされたと知っている人の言葉です。罪は彼にとって、もはや彼自身のものではなく、彼の内側にある力なのです。「私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいる」、これもまた新生した人の言葉です。彼は自分が悪を行うとき、あえてこのように言うのです、「それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」これは、このことについて理解するのにとても大切なことです。
  
この書簡の前半部分で、パウロは義認と聖化について取り扱っています。義認については、罪、それも単数形の罪(原罪)ではなく、複数形の罪--実際に犯す一つ一つの罪--に関する教えについての教義の基盤を築いています。5章の二番目の部分では、彼は実際に犯す一つ一つの罪ではなく、力としての罪について語り始めます。もしもローマ人への手紙の7章の後半部分がなかったとしたら、もしもパウロが信者の罪深さに関するこの大切な疑問を、彼の教えの中から省いていたとしたら、それは私たちにとって何という損失であったことでしょう! 私たちは皆、是非とも知りたいと思っている信者における罪という質問に対する答えを聞き損なっていたでしょう。その答えとは何でしょうか? 新生した人とはその意思が新たにされた人であり、その人こそこのように言うことが出来るのです、「私は、内なる人として、神の律法を喜んでいる・・・」


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