推薦メッセージ
デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「私は本当にみじめな人間です!」(O Wretched Man that I am!)(6/7)


神は私たちのうちに働いて志を立てさせてくださいます。そして事を行わせて下さろうとしておられるのです。しかし、あぁ、多くのクリスチャンがこれを誤解しているのです。彼らは自分たちには志があるのでそれで十分である、すぐにそれを行うことが出来る、と考えているのです。そうではありません。この新しい志は永遠の賜物であり、新しくされた性質に伴うものです。しかしそれを行う力は永遠の賜物ではありません。その時その時に聖霊から頂かなくてはならないものなのです。信者としての自らの不能さをよくわきまえている人こそが、聖霊によって聖い生活を送ることが出来るのだと学ぶ人でしょう。この人は今まさに素晴らしい解放を経験しようとしています。栄光に輝く第8章への道は整えられたのです。今、私はおごそかにこう尋ねましょう:あなたはどこにいますか? 時折聖霊の力をわずかばかりに感じつつ「私は本当にみじめな人間です、誰が私を救い出してくれるでしょう?」と言っているところですか? それとも「私たちの主イエス・キリストのゆえにただ神に感謝します、御霊の原理は私を罪と死の原理から解放してくれました!」と言っているところですか?

聖霊のなさることは、勝利を与えることです。「もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」これをなすのは聖霊です--父・子・御霊の神格における第三のお方です。それは、この方を受け入れるために心が広く開かれているとき、そこに入ってきて治めて下さるお方であり、日々、一刻一刻、瞬間瞬間に、からだの行いを殺してくださるお方であるのです。

私はこの点を強調したいと思います。覚えておいてください、親愛なる友よ、私たちに必要なのは、決心して、それを実行に移すことです。御言葉のなかには二つのとても異なるタイプのクリスチャンが出てきます。聖書はロ−マ書、コリント書、ガラテヤ書においては、肉にゆだねてしまうことについて語っていますが、それこそが何千何万ものクリスチャンの姿です。聖霊にある喜びの欠如、神が下さる自由の欠如などは肉に負うところが多いのです。彼らのなかに御霊は宿っているのですが、肉が彼らの生活を支配しています。神の御霊に導かれることこそ彼らにとって必要なことです。 永遠の神がご自身の愛する御子であるキリスト・イエスを、日々私たちを見守るために与えてくださったということが何を意味しているのかということ、私たちがなすべきなのは、ただ信頼することだということ、そして、聖霊の働きとはあなたがいつでもイエスを心にとめ、彼に信頼出来るようにしてくださることなのだということ-- これらのことを私が全ての神の子供たちに理解させられるよう神が助けてくださいますように! 御霊はイエス様とのつながりが決して途切れることがないようにするためにこの世に来てくださったのです。聖霊のゆえに神をほめ讃えましょう! 私たちは、聖霊とは何か贅沢品であり、特別な時、特別な働き、特別な人のためだけにあるかのように考えることに慣れてしまっています。しかし、聖霊は、全ての信者にとって、毎日、どんな時にも必要なのです。あなたが御霊をいただいていることのゆえに神をほめ讃えましょう。また御霊が私たちを罪の力から自由にし、私たちにキリストによる解放を完全に体験させて下さることのゆえに神をほめ讃えましょう。

聖霊による力と自由を欲している人はいますか? おぉ、兄弟よ、神の前に膝まづき、必死の叫びをもう一度だけあげましょう。

「おぉ、神よ、私はこのように一生罪を犯し続けなければならないのでしょうか? 私は本当にみじめな人間です、誰が私をこの死の身体から解放することが出来るでしょう?」

神の御前にもう一度身をかがめ、このように叫んでイエスの力があなたがたの中に宿り、働いてくださるのを求める用意は出来ていますか?

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