推薦メッセージ
デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊に始まって」(Having Begun In The Spirit)(1/9)



私が皆さんにお話ししようと思っている箇所は、ガラテヤ人への手紙の3章3節にあります。2節から読んでみましょう。「ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。」そして今回の箇所です。「御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。」

霊的生活を活気づけるとか、深めるとか、強めるといったことについて語るとき、私たちは何か弱々しく、間違っていて罪深いことを思い浮かべています。そして神の御前においてこのように告白するのは素晴しいことです。

「おお神様、私たちの霊的生活はあるべき姿にありません!」

読者の皆さん、神があなた方の心に働いて、それをさせて下さいますように。

教会のなかを見渡してみるとき、そこにはあまりに多くの弱さや失敗、罪や欠点を現わすものが見受けられるものなので、私たちはついこのように自問したくなります。「なぜなのでしょう? キリストの教会たるものが、このように低迷した状態にあっていいのでしょうか? 神の民がいつも神の御力と喜びのなかに生きるということは、実際のところ、可能なのでしょうか?」

信じる心を持つ者はみな、こう答えなさい。「可能です。」

次にこの大きな疑問が出てきます。「なぜ神の教会全体はこんなにも弱々しく、大多数のクリスチャンがその特権にあずかった生活を送っていないのでしょうか? どのように説明したらいいのでしょう。理由があってしかるべきです。神が全能の御子キリストをくださったのは、このお方を全ての信者を保つ者とされるためであり、信者にとっていつまでもなくなることのない現実の存在とされるためであり、私たちがキリストにあって受けているものを全て分け与え、伝達してくださるためではなかったのでしょうか? 神は御自身の御子を与え、また聖霊様を与えてくださいました。信者たちはどうしてその特権に十分に与るものとして歩むことが出来ないのでしょう?

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