推薦メッセージ
デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊に始まって」(Having Begun In The Spirit)(2/9)


この質問に対する極めて厳粛な答えが、複数の書簡のなかに見られます。たとえばテサロニケ人への第一の手紙などのような書簡では、パウロはクリスチャン達にむかってこのような感じのことを書いています。「私はあなたがたが成長し、豊かにされ、もっともっと満たされるようになることを望んでいます。」 彼らはまだ若く、その信仰は十分ではありませんでしたが、とりあえず及第点のところにあり、パウロは大いに喜んでいました。そして彼は何度もこう書いています。「あなたがたがもっと豊かにされるように、もっと満たされるように、私は神に祈っています。」 しかし、それとはかなり違う口調の手紙を書いている箇所もいくつかあります。特にコリント人への手紙とガラテヤ人への手紙です。パウロはこれらの手紙では、人々がなぜクリスチャンとしてあるべき姿に成長していないのか、様々な表現を用いてその一つの理由を語っています。それは、多くの人達が肉の力のもとにあるということです。前述の御言葉の箇所もその一例です。パウロはガラテヤの人々に、彼らは信仰によって聖霊をいただいたのだということを思い出させようとしています。彼はキリストを宣べ伝えました。そして人々はそのキリストを受け入れ、力ある聖霊をいただいたのです。しかし何が起きましたか? 御霊によって始められたのでありながら、彼らは御霊が肉のうちに始めてくださった御業を、自らの努力によって完成させようとしたのです。これと同じ教えは、コリント人への手紙でも見ることが出来ます。

さて、私たちはここにキリストの教会において何が欠けているのか、厳粛な発見をしました。神はキリストの教会が聖霊の力によって生きるよう召されましたが、それなのに教会はほとんどの部分において、神の霊とは離れたところで人間の肉や意志の力、エネルギーや努力によって生きているのです。これと同じことが多くの個々の信者についても言えるだろうと思います。そして、ああ、神がそのメッセージをあなたがたにお伝えするために私のことを用いてくださるのであれば、私がただ一つお伝えしたいことはこれです。「教会が、聖霊こそその力であり助けであるということをもう一度認め、全てのものを投げうってただ御霊に満たされるために神を待ち望むようになるのであれば、教会本来の美しさや喜びは戻ってくることでしょう、そして神のご栄光が私たちの間に現わされるのを見るようになるでしょう。」全ての個々の信者への私のメッセージはこれです。「あなたは聖霊の御力のもとで日々生きていかなければならないと理解するに至らなければ、何もあなたの助けになるものはありません。」

神は、御霊の力があなたの生活の一瞬一瞬において現わされているような生ける器になることを望んでおられます。そして神様はまさにそのことを可能にしてくださるのです。

では、このガラテヤ人への言葉が何を私たちに教えてくれるのか、見てみましょう。それは極めて単純なことです。まず、(1)クリスチャン生活の始まりは、聖霊を受けることにあり、(2)私たちは肉によって生きるのでなく、御霊によって生きる者であるということを忘れてしまうのが、いかに大きな危険であるのかを示しています。 さらに、(3)私たちが肉における完成を求めていることの証拠や実が何であるのかを示し、(4)そのような状態からの解放への道を教えてくれます。

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