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デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊に始まって」(Having Begun In The Spirit)(3/9)


聖霊を受ける

まず第一に、「御霊に始まって」とパウロは言います。この使徒は単に信仰による義認だけを宣べ伝えたのではないということを忘れないでください。彼はそれ以上のことを教えました。彼が宣べ伝えたのはこれです。この書簡はその教えに満ちています。つまり、義と認められた人は聖霊によって生きるのでなければ生きることが出来ないということ、そしてそれゆえに神は義と認められた全ての人に、封印のための聖霊をお与えになるのだということです。事実、パウロはそのことをガラテヤ人に一度ならずもそれ以上繰り返して言いました。

「あなたはどのようにして聖霊を受けたのですか? 律法を行ったからですか、それとも信仰をもって聞いたからですか?」

パウロは彼の教えのもとで力強いリバイバルが起きたときのことを指しているのかもしれません。神の御力が現され、ガラテヤ人たちはこのように確信を持って告白したのです。

「そうです、私たちは聖霊をいただきました。信仰によりキリストを受け入れ、信仰によって聖霊を受けたのです。」

さて、自分たちが救われたときに聖霊をも受けたのだということをろくに知らないクリスチャンが大勢いるというのは恐るべきことです。圧倒的多数のクリスチャンは「私は赦しを受け、平安をいただいた」と言うことが出来ます。しかしながら、もしあなたがその人たちに「聖霊は受けましたか?」と聞くならば、彼らは躊躇し、そして「はい」と答える人がいるとしてもその多くがためらいながら言うことでしょう。そして彼らは、聖霊を受けた時から自分たちは聖霊の力に満たされて歩むということがどういうことなのか、あまりよく知らなかったと言うことでしょう。それでは、この偉大なる真理をはっきりとさせようじゃありませんか。つまり、真のクリスチャン生活の始まりは、聖霊を受けることであるということです。そして全てのキリスト教の教役者の役目は、パウロの役目がそうであったように、人々に彼らは聖霊を受けたのだということ、そしてそれゆえに聖霊の導きと力に従って生きるべきであると思い出させることなのです。

もし、この力ある聖霊を受けたガラテヤ人たちが御霊に始まったものをなおも肉によって完成させようとする恐るべき危険によって道から迷い出そうになるのであれば、自分が聖霊を受けたとはっきりわかっていないクリスチャン、あるいはそのことを頭ではわかっていても、日々の歩みのなかでそれを思い出すことも、そのことゆえに神に感謝することもないクリスチャンは、どれだけの危険にさらされていることでしょうか!

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