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デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊に始まって」(Having Begun In The Spirit)(4/9)


聖霊をないがしろにして

では次に、その恐るべき危険について考慮してみましょう。

皆さんは鉄道の切り替えが何をするものか御存知ですね。車両を引く機関車はある一定の方向に向かって進みますが、きちんと開くか閉じるかしていないポイントがあると、右か左か、わからない方向に切り替わってしまいます。そしてもしそのようなことが起きると、たとえばの話、暗い夜だったとしましょう、列車が間違った方向へ進んでしまい、人々はかなりの距離を進むまでは間違いに気がつかないかもしれないのです。

神は、日々の歩みのなかで御霊の力の中で生きるようにとクリスチャンに聖霊を与えてくださいます。人は、聖霊の力なしにはたとえ一時間たりとも神の御心に従って生きることは出来ません。それなりに良い、安定した暮らし、いわゆる人に後ろ指を指されるような暮らしではなく、良い行いをし熱心に仕える暮らしをすることは出来るかもしれません。しかしながら、神に受け入れられ、神の救いと愛を喜ぶ、新しいいのちの力に満たされた人生を生きるためには、日々、毎時間、聖霊によって導かれることが必要なのです。

しかし、この危険に耳を傾けてみましょう。ガラテヤ人たちは聖霊を受けました。しかし、御霊に始まったことを彼らは肉によって完成させようとしたのです。どのようにしてですか? 彼らは割礼を受けなくてはいけないというユダヤ教の教師のもとに戻ってしまったのです。彼らは表面的に律法を守ることのなかに自分たちの宗教を見い出そうとし始めたのです。ですからパウロはこれらの割礼を施させた教師たちのことを「彼らは自らの肉のなかに栄光を求めようとした」といったのです。

あなたがたも「宗教的な肉」という表現を時々耳にすることがあるでしょう。これはどういう意味なのでしょうか? 要するに「私の人間的性質、私の人間的意志、そして私の人間的努力は宗教的生活においてきわめて活発であり、私が回心した後も、そして聖霊を受けた後でも、自分自身の力を尽くすことで神に仕えようとしてしまうかもしれない」というようなことを表現しているのです。

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