推薦メッセージ
デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊に始まって」(Having Begun In The Spirit)(7/9)


これはあたかも私たちの弱さの自然な結果であり自分ではどうしようもないことなのだとばかりに語る人たちが大勢います。これらのことは罪であるかのように語り、しかも打ち勝つことに対する希望を諦めてしまった人たちが大勢います。教会のなかで自分たちの周りに見られるこれらのことについて語りはするものの、変化をもたらすことにはわずかながらの見込みも持たない人たちが大勢います。根本的な変化が訪れない限りは、信者のなかにある全ての罪は、肉から、私たちの宗教的な活動のただなかにある肉的な生活から、神に仕えようと自分の努力に邁進するところからやって来るのだということに、神の教会が気付き始めない限りは、見込みはありません。 私たちが告白をすることを学ぶまで、私たちが理解するようになるまで、何とかして力に満ちた神の御霊を教会に取り戻さなくてはなりません。ペンテコステのとき、教会はどこで始まったのでしたか? 御霊にあって始まったのです。しかし、ああ、次世紀の教会はなんと肉に落ちてしまったことか! 彼らは教会を肉にあって完成させようとしたのです。

宗教改革が信仰による義に関する偉大なる教義を回復させたからといって、聖霊の力が完全に回復されたのだとは思わないようにしましょう。この終わりの時に、神が御自身の教会に対して憐れみをかけられるというのが私たちの信仰であるなら、それは聖霊についての真理と教義とを研究するだけでなく、心を尽くしてそれを求めることによるのでしょう。ただ真理を求めるだけでなく、牧師たちと信徒たちとが神の前にひざまずき、深いへりくだりのもとに、ただ一つこう叫ぶことによるのでしょう。「私たちは神の御霊を悲しませました、神の御霊をほとんど持つことなしにキリストの教会を建てようとしてしまいました、聖霊に満たされた教会になることを求めて来ませんでした。」

教会における脆弱さは、すべて教会がその神に従うことを拒んだことに起因するのです。

なぜそうなのでしょうか? あなたの答えはわかっています。こう言うのでしょう、「私たちはあまりにも弱く、あまりにも無力なので、従おうとしたし、従おうと誓ったけれどもなぜか失敗してしまうのです。」

ああ、そうです、あなたがたは神の力を受け入れないから失敗するのです。ただ神のみが、あなたのなかで御自身の御心を成し遂げることがおできになります。あなたには神の御心を成し遂げることは出来ません。神の御霊だけが出来ます。教会が、信者たちが、このことを理解し、人間的な努力によって神の御心を行おうとすることを止め、聖霊がすべての全能で可能にする力をもってやってくるのを待つまでは、教会は神が望んでおられる姿、神が喜んで変えてくださろうとしている姿になることは出来ないでしょう。

[戻る] / [進む]
[GoHome]