推薦メッセージ
デボーションタイム

グレースライブラリーより転載(http://nakamurafamily.net/library/)
アンドリュー・マーレイ

「御霊に始まって」(Having Begun In The Spirit)(8/9)


聖霊に明け渡して

ここで私の最後の考えをお話しましょう。それは「回復への道は何なのか」という問いかけです。

愛する友よ、答えは単純で簡単です。もし電車が誤った方向へ進んでしまったなら、切り替え地点まで戻ってくる以外に方向修正する方法はありません。ガラテヤ人たちにとっても、自分自身の力による全ての宗教的努力や自らの働きによって何事かを成し得んとしようとすることから立ち返り、へりくだって聖霊に自分自身を委ねる以外に戻って来る道はなかったのです。私たち個人にとっても他に道はありません。

  「ああ! 私の人生は聖霊の力のことをろくに知りもしない!」そのように気がついている兄弟姉妹はいますか? 聖霊の力のなかで生きる人生がどのようなものであるか、あなたには考えもつかないような神のメッセージを携えてあなたのところに参りましょう。それは思いも及ばないほどに高く、祝され、素晴らしいものです。 永遠の神の御子がこの世にやって来られ、その奇しき御業をなされたのが真実であるのと同じくらい、カルバリの十字架の上に死なれ、御自身の尊い血潮によってあなたの贖いを達成してくださったのが真実であるのと同じくらい、聖霊はあなたの心にやってきて、その偉大な御力によってあなたを聖別し、神の尊い御心をなさしめ、あなたの心を喜びと力で満たすことがおできになるお方であるというメッセージです。しかし、ああ! 私たちは聖霊のことを忘れ、悲しませ、侮辱して来ました。それゆえに聖霊はその御業をなさることが出来ないでおられたのです。しかしあなたにこのメッセージを伝えましょう。天の御父は、御自身の子供たちを聖霊によって満たすことを喜びとされるのです。神は一人ひとりに個人的に、個別に、聖霊の力を日々の生活のために与えることを願ってやまないのです。その命令は個人的に、また統合的に、私たちに与えられます。神は私たちが神の子供として立ち上がり、神の御前に私たちの罪を置き、憐れみを請うて神に向かって叫ぶことを願っておられます。ああ、あなたはそんなにも愚かな者なのですか? 御霊に始まったものでありながら、御霊に始まったものを肉において完成させようというのですが? 恥じ入って膝を屈めましょう。そして私たちの肉的な宗教、自己による努力、自信がいかにすべての失敗のもととなっていたのか、神の前に告白しましょう。

若いクリスチャンの方々からよくこのように聞かれます。「どうして私はこのように失敗するのでしょう? 私は心から厳粛に誓い、神に仕える願いを持っていたのに、どうして失敗してしまったのでしょう?」

このような人たちには私はいつも次の答えを与えます。「親愛なる友よ、あなたはただキリストのみがあなたのなかで成し遂げることのできることを、自分の力でやろうとしているのですよ。」

そして、彼らが「ただキリストだけが出来るということは分かっていたつもりです。私は自分のことは信頼していませんでした」と言うとき、私の答えはいつもこれです。「あなたは自分自身に信頼していたのですよ。そうでなければ失敗することはなかったはずです。もしもキリストに信頼していたなら、キリストが失敗することなどなかったのですから。」

ああ、この御霊に始まったものが肉によって完成されるということは、私たちが理解している以上にはるかに深く私たちに根付いています。私たちがまったくの恥と空虚のなかに連れて来られたときにこそ高きところからの祝福を受けることが出来るのだということを、私たちに悟らせてくださるよう、神に願おうではありませんか。

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