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| かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。 コリント第二の手紙 3章15〜16節 |
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| 人には多かれ少なかれ、おおいが掛かっています。自分では良かれと思うことでも、後になると間違いを教えられて、恥ずかしい思いをすることがあります。 人が主に向くなら、そして主によって教えられるなら、恥を見ることはありません。 | |||||
| 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント第二の手紙 3章18節 |
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